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アルビレックス新潟と新潟のあれこれ


by joehenderzone
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梨(10月27日△1-1磐田)

 梨は「無し」に通じるから、古来忌み言葉として使うことを避けられていて、梨のことを「有り」の実なんて呼んでいた。
ちょうど「するめ」のことを、『あたりめ』と呼ぶのと同様に。
だから名前に「梨」の字を使うことなんて忌み嫌っていたのだが、最近では例えば「梨紗」とか「梨花」のように気にせずに用いられている場合も多い。
名前に、正確に言えばその名前に用いる漢字に意味を込めていた時代は終わり、読み方や、語感、リズムが先にありきで、その後で文字が当てられる場合が多いのだろう。
修斗とか、亜土夢とかはその代表なんだけど。

 苦しいときこそ、その人の真価が本当に問われる。
そう言っていたのは確かイチローだったと記憶している。
この週末は、困難に直面している人達にたくさん出会った。
辛苦を乗り越えた人達の話を聴く機会があった。
その苦労は人それぞれだけれども、それを乗り越えるのはやっぱり気持ちの問題なんだとつくづく思い、そう思えば思うほど、ますます反さんの言っていた「ボールは丸いから、気持ちの強い方に転がる」という言葉が何もサッカーだけのことじゃなく深い意味に感じるのだった。
だからこそ1-1の引き分けは、優勝争いをしているわけでもなく、かといって降格争いをしているわけでもない、中位のアルビのモチベーションを端的にあらわしているようにも思えた。

 道の駅でもある『ふるさと村』に、翌日の帰り道に立ち寄った。
ふと、反さんの言葉を思い浮かべたのは、そこでサッカーボールのように丸い白根産の大きな梨『新高』を買ったからかもしれない。
ちょうど『白根の日』だったようで、隣接する信濃川の土手では白根の大凧を上げていた。
折からの風に吹かれて、東京の自身の部屋よりも広いかと思われる大凧は自由に空に舞い上がっていく。
間近に見るのは初めてだったけど、想像通り中空に浮揚するまでは多くの人力を必要とし、それを支える糸、というか紐、というか綱は予想外に多く太かった。
凧は自由に大空を泳いでいるように見えても、それは多くの、そして太い絆に支えれていた。
一見自由自在にパスを廻しているようでも、実は長い時間と信頼がなし得たサッカー。
それがかつて黄金期を確立して、そしてここわずか1年で崩壊しかかった磐田のスタイル。
前日の試合は、監督が交代したことによ、そのかつての姿を志向し直した途上の磐田。
もしも、以前の磐田ならば圧倒されたいたかもしれない、とも思った。

 チャンスを活かせないとこういう結果になるんだよ、という試合。
アウェイでロスタイムに勝ち点1を逃した前回の試合と、ホームで押し込んで勝ち点3を逃した今回の試合。
試合終了後のスタンドでも、前回のほうが悔しい、いや今回のほうが頭に来る、と賛否両論が渦巻いた。
評価は人それぞれで分かれるところ。
千代タンや千葉が身体を張って防いだボールを、坂本が息を切らしながら追いかけてあげたクロスを、マルシオがきつくマークされながら運んだボールを、フォワードは無駄にしてはならない。
大事に繋いだボールを、貴章はゴールマウスに優しく押し込めばよいし、エジはそのゴール前の自由奔放さは自身の能力だけでは成り立たないことを肝に銘じて、過信せずにプレーして欲しい。
このゲーム、何かの暗喩のような試合展開だったような気がした。
だから「無し」か「有り」かと問われたら、迷わず「有り」の実の皮を剝くだろう。
込められた意味を、選手もサポも感じ取って、ボールに魂を込めそうな、そんな気がしたからね。
by joehenderzone | 2007-10-29 23:31 | アルビレックス新潟